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松山地方裁判所 昭和40年(行ウ)13号 判決

原告 井上武夫

被告 愛媛県教育委員会

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一双方の求める裁判

一  原告

1  被告が原告に対して昭和四〇年三月三〇日付でした停職六月の懲戒処分(以下本件懲戒処分という)を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(本案前)

1 原告の訴を却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案)

主文と同旨。

第二双方の本案前の主張

一、被告の主張

原告は、本件懲戒処分後の昭和四一年一〇月一〇日に、愛媛県公立学校教員を退職し、教育公務員としての身分を喪失しているから、本件懲戒処分の取消訴訟によつて回復すべき利益は、なんら存在しないことが明らかであるので本件訴はすみやかに却下されるべきである。

二、被告の主張に対する原告の答弁並びに主張

(答弁)

原告が、被告主張の日に愛媛県公立学校教員を退職し、教育公務員としての身分を喪失したことは認める。

(主張)

1 原告は、昭和三二年四月一日から同四一年三月三一日まで、在籍のまま愛媛県下公立学校教職員をもつて組織する愛媛県教員組合(以下県教組という)の専従役員であつたが、その後、昭和四一年四月一日職場に復帰した際、本来原告の勤務年限・勤務実績などを考慮するならば、本俸が二等級二五号給に昇給されるべきところ、その期間中に本件懲戒処分を受けたことにより、二等級二四号給にとめおかれ、そのために退職時までの本俸及び諸手当については、別表一給与等不利益計算書記載のとおり合計金一万六、六一八円が、退職金については別表二退職手当不利益計算書記載のとおり金一二万三、七五〇円がそれぞれ減収となり、不利益を受けた。

したがつて、本件懲戒処分により原告が本来受くべき権利が害されたまゝとなつているので、その取消しを求めるについて法律上の利益がある。

2 なお、右別表二退職手当不利益計算書における非就労月数算定の基礎となつた、昭和三三年一〇月二〇日付停職五月及び同年一二月五日付停職二月の各懲戒処分については、原告が無効確認の訴(予備的に取消しの訴)を提起し、当庁昭和三四年(行ウ)第一号事件として係属中である。

三、原告の主張に対する被告の答弁並びに反論

(答弁)

原告が昭和四一年四月一日職場に復帰し、その時の本俸が二等級二四号給とされたこと・退職手当は、最終本俸月額を五万九、九〇〇円、勤続期間を原告主張の算出方法で三〇年として計算がなされたこと・非就労月数算定の基礎となつた各処分のうち、本件懲戒処分以外の他の処分に対しては、原告が無効確認の訴(予備的に取消しの訴)を提起し、当庁に係属していることを認める。

(反論)

1 一般に、専従休暇から職場に復帰した教員の復帰時における給与については、専従休暇中本来の職務である児童・生徒の教育に従事していないので勤務の実態が存在せず、そのため勤務成績良否の判定が不可能であるから、最短昇給期間を良好な成績で勤務した場合に行なう昇給の取扱例は適用されず、そこでは勤務成績の良否とは無関係な基準によつて新たに決定されるもので、このことは原告の復帰時の給与の決定の場合も同様で、原告の場合には、その勤務年限・専従休暇の期間・学歴・他の教員の給与との均衡及び病気等の事由による休職者の職務復帰時における給与の調整の取扱例等を総合的に検討し、二等級二四号給が妥当なものと判断のうえ行なわれたものであつて、本件懲戒処分とは全く関係がない。

2 また、退職手当算定の基礎となる勤続期間の計算は、職員として在職した期間によるものとされており、その在職期間の計算は、職員となつた日の属する月から退職した日の属する月までの月数によるとされている(愛媛県職員退職手当条例「以下退職手当条例という」第七条第一項及び第二項参照)ところ、原告の場合、その在職期間は昭和一〇年三月三一日から昭和四一年一〇月一〇日までであるので、その月数を計算すると三一年八箇月となるが、右在職期間のうちに地方公務員法(以下地公法という)第二七条及び第二八条の規定による休職、または同法第二九条の規定による停職等の事由により、現実に職務に従事することを要しない期間のある月(現実に職務に従事することを要する日のあつた月を除く)が一つ以上ある場合には、その月数の二分の一に相当する月数を在職期間から減算することとされ(退職手当条例第七条第四項参照)、原告の場合、休職及び本件懲戒処分を含む停職により減算される月数一二箇月が存することとなり、そこで在職期間三一年八箇月から右一二箇月を減算すると三〇年八箇月となるが、一年未満の端数を切り捨てることになつているので(退職手当条例第七条第六項参照)、退職手当算定の基礎となる原告の勤続期間は三〇年とされたもので、仮りに本件懲戒処分(停職六月)がない場合の原告の勤続期間を計算すると、右減算すべき月数一二箇月のうち、本件懲戒処分により減算すべき月数三箇月を差し引いた残りの月数九箇月を右在職期間から減算して三〇年一一箇月となる(計算方法は別表二3(2)記載のとおり)が、先に述べたように、一年未満の端数切り捨てにより同様に三〇年となり、結局本件懲戒処分の有無にかかわらず、その勤続期間に変動がないい。

したがつて、本件懲戒処分は退職手当算定の基礎となる原告の勤続期間に何ら影響を及ぼさないこと明らかである。

第三双方の本案の主張

一、請求原因

1  被告は、愛媛県の合議体の教育行政機関であつて、県費負担教職員(市町村立学校職員給与負担法第一条及び第二条に規定する職員)の任命権を有するものである(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三七条第一項)。

2(一)  被告は、昭和四〇年三月三〇日に、当時愛媛県公立学校教員であつた原告に対し、停職六月の懲戒処分(本件懲戒処分)を行なつた。

(二)  本件懲戒処分の理由は、「昭和三九年六月七日付『えひめの教育復刊第一八号(以下復刊第一八号という)』により、昭和三八年度全国小・中学校学力調査における愛媛県内の調査に、数々の不正が行なわれた旨の悪質な虚構の事実の発表を行なうなど、右調査に数々の不正が行なわれたかのごとく世間に疑惑の念をいだかせ、これにより愛媛の教師を著しく侮辱し、その信用を傷つけたことは、地公法第三三条の規定に違反する行為であり、全体の奉仕者としてまことに遺憾な行為である。しかも、右行為に対して何ら反省の情が認められない」というにある。

3  そこで原告は、本件懲戒処分を不服として、昭和四〇年五月二七日愛媛県人事委員会に審査請求をしたが、この審査請求は同委員会に現在係属中であつて、右請求の日から三箇月を経過するも、いまだ裁決がない。

4  しかしながら、本件懲戒処分には事実誤認及び法令の適用を誤つた違法があるので、その取消しを求めるべく本訴請求に及ぶ。

二、請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因12及び3の事実を認める。

2  請求原因4の主張を争う。

三、被告の主張

1(一)  原告は、昭和三八年度の全国小・中学校学力調査における愛媛県内学力調査(以下学力調査或いは学力テストという)に関し、同県の小・中学校教職員(以下県教職員という)が次のような不正を行ない、あるいは行なおうとしたごとき記事を掲載した復刊第一八号を編集のうえ、昭和三九年六月七日ころこれを発行し、右記事を公表した。

(1) 「四、学テ当日の実態」と題する部分中(一五~一七頁)

イ 「1 座席の配置転換と受験態度」の項において

(i) 学テ当日だけ成績優秀児を右側へ、不振児を左側へ座席を変更させ、後者が前者の答案を見やすくなるように配置換えし、、その結果テストの成績が大変良かつた旨の記載

(ii) 学テ当日が迫ると、席かえ・展示物・指で正答を示すなどのほか、成績優秀児の左側に成績不振児の机をつけるなどのことをしようとした旨の記載

ロ 「2 黙認という中で」の項において

(i) 年表・地図など取り除かねばならない教室の展示物をそのままにし、あるいは新たに展示物を掲示し、また小学校理科テストの際、先生が黙つて指で正答を示したほか、カンニングを許した旨の記載

(ii) テストの際読んではならない問題の正答箇所を抑揚をつけて読み、あるいはテスト期日前に送付されたテスト用紙を不正に取り扱つたかのごとき記載

ハ 「3 不振児処置」の項において

(i) 学テの前日、成績不振児に対し「学テ当日休むよう」指示した旨の記載

(ii) 学テ当日に成績不振児を休ますよう指示しようとした旨の記載

ニ 「4 採点操作」の項において

(i) 実在しない生徒の答案を教師が記入して満点の答案を作成し、テストを受けた成績不振児の答案を事故として採点対象から除外し、あるいは採点の際自校の零点の答案を隠したほか、抽出して報告する場合に、他のクラスの上位のもののテスト結果をだきあわせて報告を行なつた旨の記載

(ii) 採点の際自校の答案を採点して、採点に手心を加えたかのごとき旨の記載

(2) 原告名義の「学力テストの実態報告にあたつて」と題する巻頭言中、原告が、実態報告を出すにあたつて収録掲載した前記記載のごとき事実は、ごくまれな特異例ではないとして、あたかも復刊第一八号掲載の前記記事が真実であるかのごとき旨の記載

(二)  原告は、昭和三九年六月七日ころ、学力調査について、読売新聞松山支局の記者に対し、報道されることを知りながら「テストの成績をあげるため、事前に正解を生徒に教えるというあまりにも非常識なケースさえ出ている」旨の発言をなしし、その結果同月八日付読売新聞紙上に原告の談話として同旨の内容の記事が掲載され報道がなされた。

(三)  原告は、さらに同月一一日にNHK松川中央放送局の記者に対しても、報道されることを知りながら「宗像調査団の報告(東京大学教授宗像誠也を団長とする香川・愛媛文部省学力調査問題学術調査団が、昭和三九年六月九日高松市で昭和三八年度の愛媛香川両県における全国小・中学校学力調査の実態報告として『テスト当日成績の悪い生徒を休ませたり、先生が正しい答えを指で押えて知らせたり、正しい答えを書いた紙切れを見せたりしているような不正手段が横行している』旨公表したもの)は事実で、不正があつた学校名などについて、いつでも被告委員会と対決できる」旨の、あたかも宗像調査団が公表した不正事実が真実存在したかのごとき発言をし、その結果同日午後七時二五分から五分間のローカルニユースの中で同旨の放送が行なわれた。

2  被告は、前記復刊第一八号の発行及び読売新聞並びにNHK松山中央放送局の各報道の結果、愛媛県内において学力調査にかかる不正問題が表面化し、世論の大きな問題となつたので、昭和三九年六月一三日付教総号外「昭和三八年度実施の全国小・中学校学力調査報告について」と題する愛媛県教育長名の文書をもつて、各市町村教育委員会に対し、学力調査にかかる不正事実の有無を調査したところ、各市町村委員会からは、いずれも学力調査を厳正かつ公平に実施し、原告公表にかかる不正事実は全くない旨の報告がなされ、それにより、学力調査に関し原告公表にかかる不正事実がなかつたことが確認されたので、昭和三九年六月一六日に、県教育長が原告及び当時の県教組書記長佐拍嘉三を県教育長室へ招き、学力調査にかかる不正事実の具体的摘示を求め、さらに同月一九日には被告委員会事務局総務課長矢野政見、及び同事務局主幹山本俊雄が、県教組事務局に原告を尋ねて、県教組中央執行委員長原告宛県教育長名の「学力調査に係る不正等の事実について」と題する文書を手渡すとともに、重ねて具体的に不正事実の摘示を要求したが、ついに、原告からはその事実の摘示を受けることができなかつた。

3  ところで、前記のとおり被告の調査によれば、原告公表にかかる学力調査の不正事実は全く存在せず、いずれも原告のねつ造にかかる虚構の事実にすぎないものであつて、この虚構の事実を原告がことさら公表したために児童・生徒・父兄及び一般県民に、昭和三八年度の学力調査に不正があつたのではないかとの疑念を生ぜしめ、さらに、教育に対する失望の念をいだかせ、そのため単に教育界を混乱させ、教育に対する県民の信頼の低下を引き起こしたばかりでなく、円滑な教育行政の遂行にも支障をきたし、公の利益をも害する結果を招来させたものであつて、かかる原告の公表行為は、公務の民主的かつ能率的運営を保護しようとする地公法第三三条の信用失墜行為の禁止規定に違反し、同法第二九条第一項第一号はもとより、第三号の全体の奉仕者たるにふさわしくない非行に該当することは明らかである。

4  そこで被告は、原告の前記公表行為及び公表事実の基礎となつた具体的事実の摘示拒否の態度について、同人の在籍校を所管する愛媛県喜多郡河辺村教育委員会と慎重に協議を重ね、同村教育委員会から被告に対し、昭和三九年一〇月一七日付懲戒処分の内申書が提出されたので、右内申書にもとづき検討を加えた結果、原告の前記公表行為は、いずれも虚構の事実の摘示により、県教職員を侮辱し、その信用を傷つけ、さらに教育公務員として全体の奉仕者たるにふさわしくない行為であつて、地公法第三三条に規定する信用失墜行為の禁止規定に違反し、同法第二九条第一項第一号及び第三号に各該当するものと判断して本件懲戒処分を行なつたものである。

以上のとおり、本件懲戒処分は適法な手続に従い、公平な裁量による適法な処分であつて、違法または不当とされるいわれはない。

四、被告の主張に対する原告の答弁

1(一)  被告主張1(一)の事実を認める。

(二)  被告主張1(二)の事実のうち、原告が昭和三九年六月七日ころ、読売新聞松山支局の記者に対して、被告主張にかかる内容の発言をし、それと同旨の報道がなされたことは認める。たゞし、新聞紙上に原告の談話として掲載された内容は、原告の表現そのままではなかつた。

(三)  被告主張1(三)の事実のうち、原告が昭和三九年六月一一日に、NHK松山中央放送局の放送記者に対して、宗像調査団の報告は事実である旨答え、被告主張にかかる内容の放送がなされたことは認めるが、「不正があつた学校名などについて、いつでも県教育委員会と対決できる」とは述べておらず、この点は、記者より「県教組は法廷闘争をやつてでも黒白をつける意思があるか」と聞かれたのに対し、原告が「法廷闘争を当方からするということは筋にあわないことであり、したがつて法廷闘争に訴える考えなどない。たゞし、先方からかあるいは誰からか法廷に訴えられるという時期には受けて立つ用意がある」旨のことを述べたにすぎない。

2  被告主張2の事実のうち、被告がその主張にかかる号外を出したこと、さらに昭和三九年六月一九日被告主張の職員が原告を尋ね、その主張にかかる文書を原告に手渡したことはいずれも認めるが、その余は争う。

3  被告主張3の事実を否認し、または争う。

4  被告主張4の主張を争う。

五、被告の主張

1  昭和三六年から強行された悉皆調査としての文部省全国学力調査は、その以前に行なわれていたサンプリングテストとは性格を異にし、現場の教師に威圧を与え、教育計画を混乱せしめ、学力調査対象外の教科や他の教育活動に支障をきたさせ、テストの点だけで評価する教育の歪みを生ぜしめ、差別教育を助長し、生徒・教師及び父母の間の好ましい人間関係を疎外する等の間題を引き起こし、特に愛媛県下では、学力向上の名のもとに、被告の指導により学力調査対象外の教科の授業が大幅に犠牲にされたうえ、学力調査の試験問題が前学年の学習内容から出題されるところから、学力調査の準備として前学年の学習内容の復習、補習が繰り返され、おびただしい数のワークブツクと練習テストがおこなわれ、そのため年を逐うごとに、テスト準備教育、つめこみ教育が氾濫し、差別教育が強化されて、よつて、教育の場から脱落した児童・生徒がそのまま放置される結果を生み出し、さらには、学力調査実施自体に関しても数々の不正が行なわれるようになつたので、これら事態を深く憂慮した県教組が、被告に対し右の弊害是正を求める申入れをしたが、被告は、これをまじめに取り上げようとせず、他方県教組及び所属の教師による弊害防止も、昭和三一年から実施された勤務評定制度のもとで組合員数が激減し少人数となつたため、容易に達成できる状況にはなかつたので、結局、学力調査の実態を広範囲な父母及び地域住民に訴え、その協力のもとで是正を求めるほかないと判断し、前記公表をするにいたつたもので、復刊第一八号の刊行は、県教組の機関誌活動の一環として行なつたものである。

2  県教組は、文部省全国小・中学校学力調査実施により、教育の現場に前記のとおり数々の弊害が生じたことから、昭和三八年六月九日に開かれた第四三回定期大会において、「学力調査の政策的意図、実施によつて生じている教育上の弊害、子どもに与える差別教育等の現場の実態を明らかにし、実施の中止を目的に対県、市町村交渉を強化する」旨の学力調査白書運動をおこす方針を決定し、同大会決定にもとづき、県教組執行委員会は、愛媛県内各地における昭和三八年度学力調査の実施状況につき、同教組各支部に対して書面による調査報告を指示し、その指示に対し各支部から寄せられた報告内容を検討のうえ、昭和三九年一月に開かれた県教組執行委員会において、昭和三八年度実施にかかる学力調査を県教組の機関誌である「えひめの教育」に特集することを決定し、そこで、県教組の執行委員長で教文部長を兼ねていた原告が右機関誌の編集委員とともに編集委員会を構成し、編集作業にとりかかり、同編集委員会は、県教組各支部から報告されていた昭和三八年度学力調査実施にかかる不正事実につき、更めて各支部及び資料提供者たる個人に対し報告を求めなおし、それに応じて再び報告されてきた学力調査にかかる不正事実について、実態報告として発表する事柄の重大性から、各編集委員が手分けして一つ一つ資料提供者に事実を確認したのであるが、そのように確認された事実を復刊第一八号に掲載するにあたつては、事実の確認過程で判明した不正確な表現を若干修正したほかは、資料提供者の表現をできるだけ引用し、また伝聞は伝聞として記載したもので、ただ、学力調査に関し不正事実を行なつた教師の氏名、学校名等については、学力調査の実態報告が不正事実をした教師や教育行政当局者の責任の追及を目的としたものではないので、具体的に明らかにしなかつたものである。

以上のような経過で、昭和三八年度実施にかかる学力調査の不正事実を復刊第一八号に掲載したのであつて、掲載にかかる記事は事実にもとづくもので、決して虚構といわれるものではなく、そのことは、原告が読売新聞及びNHKの各記者に述べた事実についても同様である。

3  被告は、原告の前記公表行為が地公法第二九条第一項第三号及び第三三条に規定する事由に各該当すると判断して、本件懲戒処分を行なつているが、地公法第二九条第一項第三号に規定する「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」と同法第三三条に規定する「その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為」とは同意義で、いずれも国民がかくあるべきだと考える公務員像に背く行為、或いは国民が公務員に対し抱く期待に反する行為を指すものと解せられるのであるが、公務員が国民において容易に知り得ることが出来ない行政内部の欠缺にかかる事実を公表する言論行為は、そこでの国民の期待に反する行為とは言いがたく、むしろ、かかる行為は国民の知る権利との関連で重要な意義を有するものとして、その期待に合致する行為と言うことができ、憲法第二一条によつて保障せられた言論の自由のもとに最大限に尊重されなければならず、ただかかる言論行為が、右国民の期待に反し前記両規定に該当するとされるのは、公表の内容が真実に反し、しかも、真実に反することにつき公表者に故意があるか、または社会通念上要求される相応の慎重さを欠いていたことがいずれも処分権者において明らかにされた場合というべきである。

ところで、原告の前記公表行為は、まさに行政内部の欠缺にかかる事実の言論行為にあたり、しかも、原告のごとき教育公務員にあつては、教育の専門職として、国民全体に対し、不当な支配に服することなく教育を行なう責務を負つていることからすれば、国民の期待に添う当然の行為と言うことができ、したがつて、かかる行為に右両規定を適用するにあたつては、被告において、原告がした公表の内容が真実に反すること、及び真実に反することにつき原告が故意であるか、或いは、社会通念上要求される相応の慎重さを欠いていたことを明らかにしなければならず、それがなしえないかぎり、右両規定に該当する事由ありとして、原告を処分することはできないと言うべきである。

六、原告の主張に対する被告の反論

1  原告は、県教組の執行委員長及び教文部長であり、また復刊第一八号の編集委員でもあつて、その編集発行につき責任者の立場にいたものであるから、復刊第一八号の編集発行にあたつては、その掲載にかかる事実の確認のみならず、公表についても当然慎重な配慮をなすべきであつたにかかわらず、情報提供者たる組合員の報告をう呑みにし、事実を直接見聞した者に対しその確認を行なわず、さらに、かかる事実未確認の状態のまま発行した場合の教育界に及ぼす影響等を一切考慮することなくこれを公表したものであるが、原告がこのように事実の真偽について全く無関心な態度で虚偽の事実を公表し、しかも公表するにつき社会通念上要請される相当の慎重さを欠いたのは、そもそも、復刊第一八号の刊行が愛媛の教育の現状を是正するためにではなく、日本教職員組合(以下日教組という)ないし県教組が全国一斉学力調査実施以来取り続けてきた「学力調査反対闘争」の一環として、昭和三九年度の学力調査の実施を中止させる意図のもとに、愛媛の教師を侮辱中傷し、教育界を混乱に落とし入れることを目的としたからであつて、このことは、復刊第一八号が昭和三九年の学力調査実施日(六月二三、二四日)の直前に、しかも日教組の刊行にかかる「学力テストは教育をこんなにゆがめる―テスト体制下の愛媛の実態―」と題する報告書の発行と時期を同じくして発行されたこと・日教組と一体であるいわゆる宗像調査団が来県し、学力調査の実態につき県教組の組合員のみから一方的に事情を聴取し、復刊第一八号の記載内容があたかも事実であるかごとき発行を行つたこと・復刊第一八号が当時七〇〇名くらいしかいなかつた県教組の組合員に比較して三、〇〇〇部という異常に多数刊行され、組合機関誌の枠を超えて全国的に配付されたことなどから明らかである。

もし、原告がその主張するように、真の教育者として教育現場のことを真剣に考え、教育の現状を是正したいと願つているのであれば、愛媛県の教育界に混乱を生ぜしめることが当然予想されるところの暴露記事ともいうべき内容を掲載した復刊第一八号を突然発行するなどしないで、具体的な事実を被告に摘示し、それにより関係職員、市町村教育委員会委員ないし被告委員会委員などの反省を促して善処を要望すれば、その目的を充分達成できたはずである。

2  ところで、本件懲戒処分は、原告の虚偽ねつ造にかかる事実の公表を対象とするものであつて、客観的に存在した事実の公表の当否を問題としているのではないから、公表に際しての原告の善意、悪意は公表行為の正当性の判断につきなんら問題となりえず、ここでは公表にかかる内容が虚構であること自体が重要な問題であつて、そうしてかかる虚構の事実の公表によつて、ことさらに教育に対する住民の認識を誤らせ、教育を混乱させ、さらには教育に対する社会的評価を低下させることになつたのであるから、これまさに信用失墜行為に該当するというべきである。

第四証拠〈省略〉

理由

第一本案前の主張に対する判断

一  次の事実は当事者間に争いがない。

1  原告が、昭和一〇年三月三一日から昭和四一年一〇月一〇日まで愛媛県公立学校教員として三一年八箇月間在職し、その在職期間中に休職期間一二月があるほか、昭和三三年一〇月二〇日付停職五月(以下〈2〉の処分という)、同年一二月六日に停職二月(以下〈3〉の処分という)及び、昭和四〇年三月三〇日付停職六月(本件懲戒処分)の各処分を受けていること。

2  原告の退職手当算定の基礎となつた勤続期間は、退職手当条例第七条にもとづき、右在職期間から休職及び各処分による非就労月数を合計二四箇月として、その二分の一である一二箇月を減算し、そこで算出された期間数(三〇年八箇月)のうち一年未満を切り捨てることにより三〇年とされたこと(別表二3(1)記載)。

3  非就労月数算定の基礎となつた〈2〉及び〈3〉の処分については、原告が懲戒処分無効確認訴訟(予備的に取消訴訟)を提起し、当庁昭和三四年(行ウ)第一号事件として係属していること。

二  右事実からすれば、本件懲戒処分が取消されたとしても、原告の退職手当算定の基礎たる勤続期間になんら変動のきたさないことは被告主張のとおりであるが(別表二3(2)記載のとおり)、本件懲戒処分の取消しとともに、当庁に係属する無効確認訴訟で争われている他の〈2〉及び〈3〉の処分につき、将来無効確認がなされ、或いは取消されるにいたつた場合のことを検討してみると、次のとおりである。

1  本件懲戒処分が取消されるとともに〈3〉の処分の無効が確認されるか、取消された場合においては、在職期間三一年八月から、病気休職一二月と〈2〉の停職四月(注1)の計一六月の二分の一たる八月を減算した三一年が勤続期間となる。

2  本件懲戒処分が取消されるとともに、〈2〉の処分の無効が確認されるか、取消された場合においては、在職期間三一年八月から病気休職一二月と〈3〉の停職一月(注2)の計一三月の二分の一たる六・五月を減算した三一年一・五月の一年未満の端数を切捨てた三一年が勤続期間となる。

3  本件懲戒処分が取消されるとともに、〈2〉及び〈3〉の処分の無効が確認されるか、取消された場合においては、在職期間三一年八月から病気休職一二月の二分の一たる六月を減算した三一年二月の一年未満の端数を切捨てた三一年が勤続期間となる。

(注1) 〈2〉の処分による停職期間は、昭和三三年一〇月二一日から昭和三四年三月二〇日までであるので、現実に職務に従事するを要しなかつた月数(非就労月数)は昭和三三年一一月、一二月、昭和三四年一月、二月の四月である(退職手当条例第七条第四項参照)

(注2) 〈3〉の処分による停職期間は、昭和三四年三月二一日から同年五月二〇日までであるので、非就労月数は同年四月の一月である。(同前)

三  原告の退職手当算定の基礎たる勤続期間が右のように変動するにおいては、その退職手当計算の乗率が四一・二五(一〇〇分の一二五×一〇+一〇〇分の一三七・五×一〇+一〇〇分の一五〇×一〇)から四二・六二五(四一・二五+一〇〇分の一三七・五×一)に増加し(退職手当条例第四条参照)、退職手当が増額されることが明らかであつて、原告は、今後において愛媛県に対し、その追加支給を請求する権利を取得することゝなるので、原告が、本件懲戒処分の取消しを求めるについて、少くとも、この点において訴の利益を有すると認めるを相当とし、したがつて、進んで本案について判断すべきである。

第二本案の判断

一、争いの基本たる事実

1  当事者及び本件懲戒処分の発令について

次の事実は、当事者間に争いない。

(1) 被告が愛媛県の合議体の教育行政機関であつて、県費負担教職員の任命権を有する者であり、原告は、昭和一〇年三月三一日に愛媛県公立学校教員に採用され、昭和四一年一〇月一〇日に任意退職した者で、その間昭和三二年四月一日から同四一年三月三一日まで、県教組の専従役員を勤め、後記公表行為当時その委員長の職にあつたこと。

(2) 被告が原告に対し、昭和四〇年三月三〇日付で、請求原因2(二)記載の処分理由により、本件懲戒処分(停職六月)を行つたこと。

(3) 原告が本件懲戒処分を不服として、昭和四〇年五月二七日に愛媛県人事委員会に対し審査請求の申立てをしたが、右審査請求をした日から三月経過後の本訴提起当時に裁決がなされていなかつたこと。

2  本件懲戒処分の事由たる公表行為(注)について

(一) 復刊第一八号について

原告が、学力調査に関して県教職員が行つたとする被告の主張1(一)記載の不正事実を内容とした記事及び右記事の内容たる不正事実はごくまれな特異例ではないと記述した原告名義の巻頭言を掲載した昭和三九年六月七日付復刊第一八号を編集発行したことは、当事者間に争いない。

(二) 読売新聞記者に対する発言について

(1) 原告が昭和三九年六月七日ころ、読売新聞松山支局の記者に対して、学力調査に関して県教職員が行つたとする不正事実を内容とする被告の主張1(二)記載と同旨(表現において多少の差異があるとしても)の発言をし、その翌日同新聞紙上に、原告の談話として右被告の主張1(二)のとおりの内容の記事が掲載報道されたことは、当事者間に争いない。

(2) そうして、後記二、2において認定する事実から、原告は、右読売新聞記者に対する発言内容が同新聞により報道されうることを十分予想し、あるいは、進んでそれを希望してしたものと推認するを相当とする。

(三) NHK記者に対する発言について

(1) 原告が、昭和三九年六月一一日に、NHK松山中央放送局の記者に対し、同月九日高松市において公表された学力調査の実態に関する宗像調査団の報告内容(テスト当日成績の悪い生徒を休ませたり、先生が正しい答えを指で押えて知らせたり、正しい答えを書いた紙切れを見せたりしているような不正手段が横行している旨)は、全く事実である旨の発言をしたこと・同日午後七時二五分から五分間松山中央放送局のローカルニユースの中で右と同旨の報道と、これに加えて「不正のあつた学校名などについて、(原告が)いつでも県教育委員会(被告)と対決できる」旨の報道がなされたことは、当事者間に争いない。

(2) ところで、被告主張の原告のNHK記者に対する発言のうち「不正のあつた学校名などについて、いつでも県教育委員会と対決できる」旨の部分については、証人中矢常繁の証言により真正に成立したと認められる乙第二号証は、その確証とするに足らず、かえつて、原本の存在とその成立について争いない甲第一八号証及び原告本人尋問(第二回)の結果を総合すると、NHK記者が原告の他の趣旨の発言内容を誤聞したか、または異る趣旨に意訳してしたものとうかがうことができるので、原告が右のとおり発言したとの事実は肯認できない。

(3) そうして、この場合も、後記二、3において認定する事実から、原告は、その発言内容が、NHKの放送により報道されることを予想していたものと推認するを相当とする。

(注) NHK記者に対する発言は、原告が同記者の発問にかゝる事実を確認したもので、これをもつて公表行為といゝ、または確認された事実を公表事実というのは適切な表現でないが、説示の便宜上これら用語による。復刊第一八号の巻頭言の記述についても同様である。

二  原告の公表行為の経過

1  復刊第一八号の編集発行について

成立について争いない甲第一号証、原本の存在とその成立について争いない甲第一二ないし第一五号証、証人汲田克夫の証言、及び原告本人尋問(第二回)の結果並びに甲第六四号証の一ないし一三、甲第六五号の一ないし五及び甲第九二号証を総合すると、

(一) 県教組においては、すでに昭和三六年度における学力調査の実施の事前から被告に対し学力調査によつて生じる教育行政上の諸弊害を指摘して学力調査実施の中止を要望し、翌昭和三七年度にも同一趣旨の要望を繰返し、昭和三八年度においても同様であつたが、被告においては、文部省の方針と指導にしたがい、その実施を継続して来たこと。

(二) そうして、県教組は、昭和三八年六月九日に第四三回定期大会を開催し、同大会において「学力テストの政策的意図・実施によつて生じている教育上の弊害・子供に与える差別教育等現場の実態を明らかにし実施の中止を目標に対県、市町村交渉を強化する」ことの内容の運動方針を決定し、その後県教組執行委員会においては、右決定に基づいて同年六月二六、七日に実施せられた昭和三八年度の学力調査にかゝる県内各地の実態調査のため「学テ実体調査」と題する調査用紙(「事前に」「学テ当日」「事後」「父母」及び「組織」等の調査事項を掲げ、それに対応する回答欄を設けたもの)を作成し、これを県教組の各支部に配付し、その調査を要請したところこれに対して、同年九月中に、県教組の伊予市、八幡浜市、宇和島市、温泉郡、宇摩郡、喜多郡、及び南宇和郡の七の郡市支部並びに東宇和郡支部管下の宇和町、明浜町、野村町及び城川町の下部組織から合計一三通(甲第六四号証の一ないし一三)の報告が寄せられたこと。

(三) 昭和三九年一月に開かれた県教組の執行委員会において、前記県教組大会の決定に基づいて昭和三八年度の学力調査にかゝる実態報告書を刊行することに決定し、県教組の執行委員長兼教文部長の職にあつた原告が中心となつて、休刊となつていた県教組の機関誌「えひめの教育」を復刊し、その特集として右報告書を掲載することに計画を定め、原告が同機関誌の編集委員数名とともにこの報告書の編集委員会を構成して、企画を推進することゝなつたこと。

(四) そこで、編集委員会においては、前記県教組の郡市支部等から寄せられた報告書に基づいて、同年二月下旬から三月上旬にかけて、右報告書の基礎となつた資料の提供者たる組合員に対し、個別に五、六〇通の照会状を発して、さらに具体的な報告を要請したところ、これに対して三月末ころまでの間に、高橋郁太、吉田稔、土居清、若月真作、印南文子及び野村光男の六名の組合員から書簡形式による回答(甲第六五号証の一ないし五及び第九二号証)が報告されたこと。

(五) 編集委員会においては、右報告書を検討し、さらに、一部の報告者に対し報告内容たる不正事実の確認をしたうえで、右報告書の文言を引用する方法をもつて編集し、これを復刊第一八号に掲載したもので、その内容の大部分が被告の主張1(一)の事実に該当するものであること。

などの事実を認めることができ、復刊第一八号の発行は、県教組の運動方針たる学力調査実施反対の立場において、学力調査における弊害防止ないし学力調査実施の中止を広く呼びかける目的をもつてなされたものということができる。

2  読売新聞記者に対する発言について

原告本人尋問(第二回)の結果と弁論の全趣旨を総合すると、原告が昭和三九年六月四、五日ころ、松山市北持田町にある県教組事務所において、学力調査等の取材のため、たびたび同事務所に訪れていた読売新聞松山支局の記者某と面談中に、たまたま、復刊第一八号の印刷に使用した原稿コピーを机の上に置いたまゝ席を外したところ、同記者がそのコピーを見つけて無断で持ち帰つたので、原告は、右コピーの内容はまだ発表する段階のものでないとの理由によりその返還を求め、同月七日ころに、同記者から右コピーの返還を受けたのであるが、その際、同記者から、昭和三八年度の学力調査の実態に関して、その取材として質問を受けたので、当日復刊第一八号は発行せられておることゝて、新聞による報道を抑止することの留保をしないで、右質問に応じて、被告の主張1(二)記載内容と趣旨を同じくする発言をしたところ、それが、翌六月八日の同新聞により、原告の談話の形式で報道されたと認めることができる。

3  NHK記者に対する発言について

成立について争いない甲第九号証の一、二四、原告本人尋問(第二回)の結果を総合すると、昭和三九年六月九日に、日本教職員組合が派遣した東京大学宗像誠也教授を団長とする昭和三八年度の香川・愛媛の学力調査の調査団(宗像調査団)が高松市において調査の結果を発表し、翌六月一〇日の愛媛新聞紙上において、その発表が「愛媛のあるへき地の成績優秀校で、テスト時間中、先生が生徒の答案に無言で正しい答えに指をさしたり、正しい答案を先生が持つて、机の間を歩いて生徒に見せびらかすという、あの手この手の不正が横行した」との内容の記事により、また、同月一一日の毎日新聞紙上において「テスト当日は成績の悪い生徒を休ませたり、先生が正しい答を指で押えて知らせたり、正しい答を書いた紙きれを見せたりしている」との内容の記事により報道されたのであるが、NHK松山中央放送局記者が同月一一日に電話をもつて、原告に対し、右宗像調査団の発表のごとき不正事実が実際に存在したかと質問したところ、原告が「そのような事実が実際に存在した」旨答え、この発言内容が同日夜の同放送局のローカルニユースとして放送されたと認めることができる。

三、原告の公表事実の存否の立証責任

1  抗告訴訟において行政処分の要件事実の立証責任が被告たる行政庁にあるとの見解は広く行われており、いまや通説化していると言えるところ、この見解にしたがえば、本件懲戒処分の事由たる原告が虚構の事実を公表した事実、換言すれば、原告が公表した事実が虚構されたもので不存在であることの立証責任は、被告にあるということとなるのであるが、抗告訴訟における立証責任分配の理論は、主張責任の所在とも関連して、いまだ十分には解明せられておらず、右通説的見解が諸余の各事案についてすべて妥当するとは言いきれないのであつて、本件については、右の見解をたゞちに採用することはできない。

(一)  刑法における名誉毀損罪の規定(第二三〇条の二)では、被告人の行為がもつぱら公益を図る目的に出たものであるとき(注)、被告人が摘示した事実の存在を立証した場合には、処罰を免れることゝされており、解釈論としては、その立証が完全でない場合においても、被告人が確実な資料、根拠に基づいて、その事実が真実であると誤信したのであれば、犯罪の故意がなく名誉毀損罪が成立しないとされておる(最高裁昭和四一年(あ)第二四七二号判決)のであるが、右刑法の法理は、名誉毀損の外形的行為が違法行為であるとの推定を前提したものであることが明らかであるところ、この法理は、対個人間の民事上の争訟においても適用されており、大方の異論のないところである。

(注) 本件懲戒処分においては、その処分の理由及び弁論の全趣旨から考えて、被告は、原告の公表した事実が真実であるかぎり、原告の公表行為が公益を目的としたものであることを是認し、その事実の有無にかゝわらず、原告に分限上の責任があるというのでないから、本論においては、この点については特に説示しない。原告が、公表した事実が真実であるとしながら、原告の公表行為が憲法により保障せられた言論の自由の範囲内における適法行為であると強調することは、争点を外れた原告のひとり相撲である。

(二)  本件懲戒処分の対象たる原告の公表行為にかゝる摘示事実は、抽象的であるか、または仮名をもつてなされているので、個人たる教師の名誉を直接に毀損したものでないが、その事実は、学力調査における不正事実であつて、県教職員全体の不名誉な事実であるから、原告の公表行為は、名誉毀損罪における事実摘示行為に準じる違法類型の行為であるということができ、それは、その事実の真実性が立証せられるまで、違法行為と推定されるものというべきである。

(三)  ところで、前記刑法における立証責任の規定は、社会秩序保持のため人格権たる個人の名誉保護が重視せられねばならぬことの公共的要請と、一方国民が憲法によつて保障せられている言論の自由との衝突ないし牴触の調整手段として設けられたものということができるのであるが、本件における原告の公表行為が原告のいう行政内部の欠陥を指摘する行為、すなわち公益を目的としたものであるとしても、右刑法の規定の根拠が国民の言論の自由を保障することにあり、公益性のある行為についてこそ、右刑法の規定の適用を見るのであるから、本件がその例外であるとは言えないのであつて、違法行為であると推定せられる原告の公表行為にかゝる事実の真実性について、原告がその立証責任を負担するものであり、その立証が不十分な場合において、原告がその事実を真実であると信じたことの相当性についても、もちろん、原告において、その立証責任を負担するものというべきである。

3  ちなみに附言するに、証明の対象たる事実は、人、日時及び場所によつて特定せられて、はじめてその存在が客観的に肯認されるのであつて、原告が主張する学力調査の不正事実も、右にいう特定された事実として原告が認識して、はじめてその存在を主張しうべきものであるから、本件の審理においては、少くとも、原告の主張する不正事実が行われた学校名までは特定され、あるいは特定されうる程度の立証を要する(日時は学力調査の実施日が基準となるので、問題がない)ものというべく、もし、その特定がないときは、被告の反証の手段がないのであるから、その事実をもつて真実であるとはしがたく、この場合、原告においてその事実が真実であると信じたことに相当の理由がなかつたというよりほかなく、また、ある事実について、右にいう特定がなされても、最終的な資料(情報)提供者が明らかでないか、あるいは、その氏名を秘とくする特別の必要があつて、その立証が不十分な場合においては、原告が主張する資料の検認手続(報告者に対する資料提供者について、編集委員会がしたという確認行為)の経過を明らかにし、よつて、原告がその事実が真実であると信じたことの相当性を立証するを要するものと解すべきである。

四、復刊第一八号掲載事実とその資料

1  掲載事実とその資料との関連性

前記二、1において認定するとおり、復刊第一八号編集に当つて編集委員会が手もとに確保していた資料は、県教組の郡市支部等から寄せられた「学テ実体調査」による報告書(甲第六四号証の一ないし一三)及び右報告書の資料源たる組合員宛の照会に対する回答たる報告書(甲第六五号証の一ないし五及び第九二号証・以下単に報告書というときは、この報告書を指す)があつたのであるが、被告主張の復刊第一八号記載事実要旨(1)に対応する同記載事実(2)と、その資料たる報告書の報告事実(3)とを対照すると次のとおりであつて、(六)を除いては、いずれも一部分について表現の字句の訂正があるほか、忠実に(3)が(2)に引用されていることが明らかである。

もつとも、記載事実に照応する報告事実のない例が二例あるが、後記判断の便宜上こゝに列記する。

(一) 被告の主張1(一)(1)イ(i)について

(1) 要旨

学テ当日だけ成績優秀児を右側へ不振児を左側へ座席を変更させ、後者が前者の答案を見やすくなるように配置換えし、その結果、テストの成績が大変よかつた。

(2) 記載事実

学テの当日だけ子どもの座席を変更させた。すなわち、成績優秀児の左側へ成績不振児を坐らせるという方法である。右側だと、文字を書く時手のかげになつて充分のぞき見ができにくいと、実に細かい所まで気を配つている。そして、テストを受ける時、子ども達に三つの注意を与えている。

〈1〉 姿勢を正しくし、背をしやんと伸ばして書くこと。

〈2〉 鉛筆は書き方鉛筆のような色の濃いものを使うこと。

〈3〉 ○×や番号記号は、はつきりと、大きく書くこと。

後日、その女教師は「テストの成績は大変良かつた」と、友人に語つている。

(3) 吉田稔の報告書(甲第六五号証の二)の報告事実

〈1〉の「背」が「背中」と、〈3〉の「○×や番号記号」が「○や×」となつているほか同じ。

(二) 同(ii)の一部について

(1) 要旨

学テ当日が迫ると、席かえ・展示物・指で正答を示すなどする。

(2) 記載事実

学テ当日が迫ると、ぼつぼつ「よそさんなみにやろうや、そんじやけん」という声が出はじめました。「よそさんなみ」というのは、席かえ、展示物、指で示す等々のことです。

(3) 高橋郁太の報告書(甲第六五号証の一)の報告事実

「展示物」とあるのが「展示物はそのまゝ」となつているほか同じ。

(三) 同一部について

(1) 要旨

(学テ当日が迫ると)成績優秀児の左側に成績不振児の机をつけるなどのことをしようとした。

(2) 記載事実

共同学習という名のもとに、優秀児の左側に不振児の机をくつつけて席をとらせる学習形態が二、三週間前からなされ、当日の準備をしたが、当日は反対してとり止めさせた。

(3) 野村光男の報告書(甲第九二号証)の報告事実

「優秀児の左側に不振児の」とあるのが[劣][優]と、「当日は」は( )で文末に付されているほか同じ。

(四) 被告の主張1(一)(1)ロ(i)の一部について

(1) 要旨

年表・地図など取り除かねばならない教室の展示物をそのまゝにし、あるいは新たに展示物を掲示した。

(2) 記載事実

某町では、年表や地図など教室の常掲物はその儘、とり除かなくてもよいことにした。そのため、それまではられてなかつたもの(常掲用の市販品)が急にはられた教室もあつた。

(3) 土居清の報告書(甲第六五号証の三)の報告事実

「某町」が、「城辺町」となつているほか同じ。

(五) 同一部について

(1) 要旨

小学校理科テストの際、先生が黙つて指で正答を示した。

(2) 記載事実

某小学校Y先生の学級は、理科の学級平均が九十何点かだつたという。ところが、そのクラスの一女児の言。「わたしらの先生はテストの時にグルグル回つて来て、まちがつていたら、黙つて指で押えて教えてくれた。あれで本当の力がわかるだろうか。」

(3) 土居清の報告書の報告事実

「某小学校のY先生の」が「城辺小学校の清水先生の」となつているほか同じ。

(六) 同一部について

(1) 要旨

(テストの際先生が)カンニングを許した。

(2) 記載事実

テストが終つて、受持ち教師がテストをめぐつて「これは、見たかも知れぬ」といつている。見やすいようにしておいて見たことを許している。カンニングを許している。当日監督に来た教育委員会指導係は廊下を静かに歩くだけである。

(3) 若月真作の報告書(甲第六五号証の四)の報告事実

放課後受持ち教師がテストの採点をしている。「これはみたかもしれぬ」といつている。みやすいようにしておいて、みたことを許している。カンニングを許している。校長は「たいがいにせよ」といつている。

当日監督に来た教育委員会指導係は、廊下をしずかに歩くだけである。

(七) 同(ii)の一部について

(1) 要旨

テストの際読んではならない問題の正答箇所を抑揚をつけて読んでいる。

(2) 記載事実

問題は読みあげてはいけないはずなのに、問題を抑揚をつけて読んだという噂がある。選択肢の中の正答箇所を特に力を入れるのだそうです。

(3) 報告書なし。

(八) 同一部について

(1) 要旨

テストの期日前に送付されたテスト用紙を不正に取り扱つたかのごとき記載

(2) 記載事実

M中学校では、テスト用紙が、テスト実施の日より三日も早く(注、もつと早くから送付した所もある)から学校に送り届けられた。(それを学校でどのように取扱つたかは不詳)

(3) 土居清の報告書

「M中学校」が「御荘中学校」となされ、( )内の注記がないほか同じ。

(九) 被告の主張1(一)(1)ハ(i)について

(1) 要旨

学テの前日、成績不振児に対し「学テ当日休むよう」指示した。

(2) 記載事実

M中学校の某教師は、成績の悪い子どもに「お前は明日は休め」と指示した。

(3) 土居清の報告書

「M中学校」が「南内海中学」となつているほか同じ。

(一〇) 同(ii)について

(1) 要旨

学テ当日に成績不振児に休ますよう指示しようとした。

(2) 記載事実

N町教委の○教育長は「成績の悪いやつはのけるようにしよう」と放言。(実際にのけたかどうかは不詳)

(3) 土居清の報告書

「N町教委の○教育長」とあるのが「内海町教委の山本教育長」となつているほか同じ。

(一一) 被告の主張1(一)(1)ニ(i)の一部について

(1) 要旨

実在しない生徒の答案を教師が記入して満点の答案を作成し、テストを受けた成績不振児の答案を事故として採点対象から除外した。

(2) 記載事実

学校によつては、教師を余分に配置してもらうため、苦肉の策として架空の生徒をつくつている。私たちは、これを「ユーレイ」と呼んでいる。

学力テストの時は、そのユーレイの分も含めた部数のテスト用紙が送付されてくる。B中学校では、それに目をつけて点数をあげる操作が行われた。実在しない生徒の答案に教師が記入し、満点にする。即ち、満点の答案をユーレイの分だけ教師が作成するのである。そして、実際にテストを受けた成績不振児の答案をその部数だけ「事故」という名のもとに除くという方法である。B中学校の場合問題となることは、学校全体が組織的に不正を行つているという事実である。このような操作は、一人の教師だけではできないことである。

(3) 吉田稔の報告書の報告事実

「学校によつては」とあるのが「どこの学校でも」となつているほか同じ。

(一二) 同一部及び同(ii)について

(1) 要旨

採点の際自校の零点の答案を隠した。((i)の一部)

採点の際、自校の答案を採点して採点に手心を加えたかのごとき記載((ii))

(2) 記載事実

某小学校のF先生、採点の時、自校の零点の答案を二枚机の下にこつそりかくしてしまつた。同じくその先生は、同校のE先生と二人だけが離れた所に席をきめて、自校の答案を採点、同席の採点員たちは「どうも怪しい」といつていた。

(3) 土居清の報告書

「某小学校のF先生」が「一本松小学校の藤田先生」、「同じくその先生は」が「同じく藤田先生」と「同校のE先生」が「同校の尾崎先生」となつているほか同じ。

(一三) 被告の主張1(一)(1)ニ(i)の一部について

(1) 要旨

抽出して報告する場合に、他のクラスの上位のもののテスト結果をだきあわせて報告を行つた。

(2) 記載事実

某小学校では六年生一組だけを抽出してその状況を報告することになつた。それは夏休み中のことで、すべての処理を教頭が行つた。四二名ばかりの学級の成績を五十名と区切つて提出したとのことで、あとで調べると四十二名プラス八名の八名分は、他の学級の一番から八番までのテスト結果をだきあわせたことが判明した。

(3) 報告書なし。

2  両者の関連による事実の固有性

復刊第一八号掲載にかゝる原告の公表事実は、抽象的であるか、または仮名が用いられているけれども、右にみるごとく、その資料たる各報告書の報告事実との間に不可分の関連性があり、それは、各報告書作成者の報告対象として固有の事実であるから、本件審理上各事例の事実の真実性の立証は、必ずや、各報告書の対象となつた事実としてなされるべきであり、他の学校ないし地域の同一、または類似の事例の立証をもつて、これに代えることはできないものである。

五、原告の公表事実の真実性

1  復刊第一八号の掲載事実関係

(一) 四、1(一)(以下単に(二)、(三)のごとくいう)の事実について

(1) 証人吉田稔の証言によると、同証人は、昭和三八年当時新居浜市立惣開小学校に勤務しており、県教組の組合員であつて、学力テストの後県教組の代議員会に出席し、その際、組合員たる某女教師から、本事実を伝聞したもので、同女教師は、同市内の同一学校の同僚たる非組合員のある女教師から、直接に同人の体験事実として聞いたものであるというのであるが、本事実は、同証人の証言によつては学校名が明らかでないので、特定された事実としての証明があつたとはしがたい。

(2) しかし、同証人の証言によつて、同証人が作成した報告書であると認められる甲第六五号証の二には、その伝聞の事実として具体的詳細に記載がなされており、一見するとき、同号証の記載及び吉田証言を信用しうるのではないかと言えないこともないが、

イ 吉田証言によると、報告に際し、同証人が某女教師にすら事実の確認をしていないこと。

ロ 同証言中他の事項にかゝる部分では、関係人の氏名が大方明らかにされておるのに、本事実については、組合員たる女教師の氏名すら明らかにせられていないこと。

ハ ある女教師が非組合員であるというのに、学力テスト反対の立場にある組合員の女教師に対して、自己の体験を、いわば得意然と披れきしたことの経過が明らかでないこと。

ニ 伝聞事実としては、その内容があまりにも整然として具体的であること。

などの事実を総合して、本事実は、吉田証人の創作ではないかとの疑問が濃厚であつて、必ずしも信用性があるとはしがたい。

(二) (二)の事実について

原告本人尋問(第二回)の結果により高橋郁太が作成した報告書であると認められる甲第六五号証の一によると、本事実は、越智郡島しよ部の学校とまでは言えるにしても、その特定がなく、同号証の記載自体簡略あいまいであつて、同号証によつて、本事実の証明があつたとすることはとうていできない。

(三) (三)の事実について

原告本人尋問(第二回)の結果により、野村光男が作成した報告書であると認められる甲第九二号証によると、本事実は、宇摩郡内の学校とまでは言えるにしても、その特定がなく、同号証のみによつて、本事実の証明とすることはできない。

(四) (四)の事実について

(1) 証人土居清の証言及び同証言により同証人が作成した報告書であると認められる甲第六五号証の三並びに証人梶原英明(第一回)の証言を総合すると、南宇和郡城辺町立城辺中学校において、学力テストの当日、教室内に平常の展示物がそのまゝ掲示されたことを認めることができ、右認定に反する趣旨の証人佐藤進の証言は、右梶原証言と対比して措信しがたい。

(2) なお、同号証には、同中学校において学力テスト当日新しく展示物を掲げた教室があつたとの記載があるが、土居証言によると、この記載(展示物に関する)は、右梶原証人の情報提供によるものであるというのに、梶原証言によつては、この点が積極的に確認されておらないので、同号証の右記載をそのまゝ信用することはできず、本事実のうち「新しく展示物を掲示した」との事実は、証明がないというべきである。

(五) (五)の事実について

(1) 甲第六五号証の三には、本事実に照応する記載があるけれども、証人土居清及び同梶原英明(第一回)の各証言を総合すると、右記載は、梶原証人の情報提供によるものであると認められるところ、同証人の証言によると、この点について、自分の姉の子西本郁子から「テストの前に先生が『こういうところをよく勉強しておけ』というので、そこを十分勉強しておいたら、ほとんどそういうところが出て、ほとんどできた。」と聞き、また、郁子の友達からも同様のことを聞いた、というのであつて、同号証中における一女児の言、「わたしらの先生はテストの時にグルグル回つて来て、まちがつていたら、黙つて指で押えて教えてくれた。あれで、本当の力が分るだろうか」とは、全く符合しないのである。

(2) もつとも、右梶原証言及び証人清水岩門の証言を総合すると、学力テストの当時城辺町立城辺小学校五年一組は、理科の教科担任たる清水証人の受持ちであつて、学力テスト当日同証人が担任教室の監督に当つたのであるが、理科のテストについて、クラス平均九五点という異常に高い得点があつたと認めることができるので、あるいは、清水証人が何らかの不正の方法により、生徒に対し正解を示唆したものでないかと推認できないこともない。

(3) しかしながら、甲第六五号証の三における本事実にかゝる記載は、根拠のないものと認めるほかなく、したがつて、同号証と土居証言とをもつて、本事実の証明とはなしがたい。

(六) (六)の事実について

(1) 証人若月真作の証言によると、甲第六五号証の四の報告書及び甲第六八号証の一、二の日記帳(昭和三九年三月五日)は同証人が作成したものであつて、報告書は、日記帳に基づいて記載したものであり、日記帳は、当時皆のものからいろいろ聞いたことを思い出してまとめたものであるというのであるが、報告書(昭和三九年三月中作成のはず)も日記帳と同時ころに作成されたものであるから、この日記帳が報告書の資料として価値あるものということはできない。

(2) ところで、前記四、の(六)によつて明らかなとおり、報告書の記載と復刊第一八号の記載とは、報告書における冒頭の「放課後受持教師がテストの採点をしている」との部分が、復刊第一八号においては「テストが終つて受持教師がテストをめぐつて」と変更されており、若月証言によると、この変更は、編集委員会による確認の結果なされたというけれども、右変更により両者の意味は異つて来るのであつて、報告書におけるテストの採点は、学力テストのそれではなくー学力テストが終つてすぐ受持教師が採点することはないー日常のテストを指すものと解するのが相当であるのに、復刊第一八号では、それが学力テストにすりかえられているのである。

(3) とにかく、若月証言によるも、本事実について学校名が必ずしも特定されず、その情報源も明らかでなく、とうてい、本事実について証明があつたとはなしがたい。

(七) (七)の事実について

本事実については、その根拠たる報告書が存在しないし、他に全然証拠がないので、その証明はないものである。

(八) (八)の事実について

(1) 証人守口末夫の証言によると、同証人は、昭和三八年度中南宇和郡御荘町立御荘中学校に勤務していたものであるが、学力テストの二、三日前に、同僚の白石慶二他一名から、すでに同中学校に学力テスト用紙が届けられていると聞いたので、従前は、当日町教育委員会の立会人が携行する例であつたから、立会人の到着のとき注意していたが、立会人が携行しなかつたので、本事実があつたものと考えて、甲第六五号証の三の報告書の作成者土居清に伝えたというのであつて、この証言には、かなり強度の信用性があると言えるのであるが、証人木村六蔵の証言によると、それは学力テストの前日に届けたというので、さらに、守口証人に情報を伝えた白石慶二の証言が得られないかぎり、右守口証言をもつて、本事実の確証とすることはできず、したがつて、本事実についても証明があつたとは言えない。

(九) (九)の事実について

証人土居清の証言によると、同証人は、学力テストの実施直後ころに県教組南宇和支部の執行委員会において、同委員の一人から聞いたことを甲第六五号証の三の報告書に記載したが、その委員の氏名を忘れたというのであつて、同号証及び同証人の証言のみによつて、本事実の証明とはしがたいところ、かえつて、証人清家礼之介及び同大戸文の各証言を総合して、その事実は存在しなかつたと認めるを相当とする。

(一〇) (一〇)の事実について

証人土居清の証言によると、同証人は、学力テストの当時、ある組合員某から本事実を伝聞したもので、同人はある非組合員の教師から伝聞したものであるところ、その非組合員の教師はもちろん、組合員某の氏名も失念したというのであるが、事実について発言者たる教育長が特定されている点において、伝聞に多少の信用性が認められないこともないにしても、右証言によつては、伝聞の径路があいまいであるから、十分の立証がつくされたことゝはならず、本事実についても、その証明がないものというべきである。

(一一) (一一)の事実について

証人高須賀一好(第一回)の証言及び同証言によつて真正に成立したと認められる甲第七一号証を総合すると、新居浜市立中萩中学校においては、教員の定員を確保するため、二年生の学級についてそれぞれ一、二名の架空の生徒を学藉簿に記載して、教育行政上、これら架空の生徒を実在するものとして取扱い、教職員の間において、これら架空の生徒を「ユーレイ」と称していたことを認めることができるところ、同証人の証言によると、学力テストの事前に、同中学校の二年生担任の教師間において、右架空生徒について、その答案を教師が作成し、劣等生の答案とすりかえ、実際にテストを受けた劣等生は事故者として取扱い、その答案を採点の対象から除外するよう措置することを協議し、学力テスト当日、右協議のとおり実施したことの事実を認めることができ、この認定に反する証拠はないので、本事実については、十分にその証明がなされたものである。

(一二) (一二)の両事実について

証人土居清の証言によると、同証人は、昭和三八年中南宇和郡一本松町立満倉小学校に勤務していたのであるが、学力テストの実施の直後ころ、同小学校の教頭で学力テストの採点委員となつた東義友から、本両事実を直接聞いたというので、この証言には、かなり高い信用性が認められるのであるが、証人坪崎茂及び同藤田行信の各証言では、採点場の机の配置、採点の担任区分など具体的事実をあげて、本両事実のごとき不正が行われる可能性がないというので、右土居証言をそのまゝ信用することはできず、さらに、土居証人に対する情報提供者たる東義友の証言が得られないかぎり、本両事実の証明があつたとはなしがたい。

(一三) (一三)の事実について

本事実についてはその根拠たる報告書が存在しないし、他に全然証拠がないので、その証明がないものである。

(一四) 巻頭言について

上記認定により明らかなとおり、復刊第一八号掲載事実のうちその証明がなされたのは、(四)の城辺中学校における展示物の掲示及び(二)の中萩中学校における架空生徒の答案を教師が作成して、劣等生の答案をすりかえたことの二事例にとゞまるので、同掲載事実が特異例でないとして、あたかも、そのすべてが真実存在するかのごとく記述した原告名義の巻頭言は、事実に即したものでなく、たんに原告の憶測というほどのものに過ぎない。

2  読売新聞記者に対する発言関係

原告が読売新聞松山支局の記者に対する発言内容たる「テスト成績をあげるため、事前に正解を生徒に教えるという、あまりにも非常識なケースさえ出ている」という非常識なケースについては、原告本人尋問(第二回)によつても、その根拠たる資料が何であるかすら明らかでなく、その証明がない。

3  NHK記者に対する発言関係

(一) 「テストの当日成績の悪い生徒を休ませたり」の部分について

(1) まず、前記1の(九)の南内海村中学校の事例があるけれども、その証明はない。

(2) 原告本人尋問(第二回)の結果により甲第六五号証の一は印南文子が作成した報告書であると認めることができるところ、同号証によると、N市(新居浜市)で行われた母親大会の子ども分科会の席上で、ある母親からその子どもが学力テストの当日教師の指示により学校を休まされたことの訴えがあつたことの報告事実の記載があるけれども、同報告書の作成者たる印南文子が証人として喚問されていないので、これが情報の径路が明らかでなく、同号証の右記載のみによつて、それが特定された事実として証明がなされたとはしがたい。

(3) その他全証拠によるも、原告が昭和三九年六月以前、すなわち昭和三八年度以前の学力テストにかゝる本案件の事例について認識していたことの立証はなく、特定された事実として、その証明がないというべきである。

(二) 「先生が正しい答えを指で押えて知らせてやる」との部分について

前記1の(五)の城辺小学校五年一組にかゝる事例についてはその証明がなく、前記1の(二)の高橋郁太の報告書の事例についても証明がなく、他に、原告が当時認識しえた本案件に該当する事例が存在したことの証拠がない。

(三) 「先生が正しい答えを書いた紙切れを見せたりしている」との部分について

(1) 本案件に該当する事例が存在したことの確証はない。

(2) ちなみに附言するに、甲第六号証(宗像調査団の報告書)一六九頁において、昭和三七年七月一日付愛媛新聞の投書欄に、新居浜市K中学校の生徒の母親からの投書によるものとして、同年度の学力テストに関し「先生がテストをやつている間、答を書いた紙をヒラヒラさせながら教室を歩きまわつていたー」と子どもから聞いたとの記事が掲載されたとせられており、それは、「愛媛教育残酷物語(田川精三編)」から引用されていると認められるのであるが、もし、真に右愛媛新聞紙上に右の投書記事が掲載されたものとすると、当然、証拠として提出されるはずであるのに、その提出がなく、弁論の全趣旨として、同年度の学力テストは七月一一、一二日に実施されたと認められ、このような投書が七月一日付の愛媛新聞に掲載されたとすると、その投書の事実は、虚構されたものと言えるのであるが、宗像調査団は、不用意に他の著書の記載を引用して誤りを重ね、原告は、また同調査団の発表をう飲みにして「そのとおりの事実がある」旨答えたことになるもので、原告の発言は、はなはだ慎重さを欠くものであつたと言わざるを得ない。

4  非証明事実にかゝる原告の確信の相当性について

(一) 以上考察した結果によると、原告の公表事実のうち証明が果されたのは、復刊第一八号掲載の二事例のみであつて、その他の事実のうち(一)、(二)、(三)及び(六)の各事実並びに証拠資料のない復刊第一八号掲載の(七)及び(一三)並びに読売新聞記者に対する発言にかゝる事実及びNHK記者に対する発言にかゝる(三)の事実については、原告がそれを特定された事実として認識していなかつたのであるから、原告において、それらの事実が真実であると信じたことを相当とする理由がなかつたことが明らかである。

(二) 原告本人尋問(第二回)の結果によると、原告が吉田稔の報告事実にかゝる復刊第一八号掲載の(二)の事実について、同人に対し電話による確認をしたことを認めることができるけれども、土居清の各報告事実について、原告が昭和三九年三月中に、県教組南宇和支部へ出張した際、資料(情報)提供者について、その事実を確認した旨の同本人尋問における供述は、それ自体あいまいであり、上記判断の結果は、その確認がなされていなかつたによるものと言えるので、その確認はなされていなかつたものと認めるを相当とし、証人汲田克夫の証言において、同証人が1の(一〇)の事実について確認したというのであるが、その供述自体あいまいであつて信用しがたく、証明の果されなかつた復刊第一八号掲載の(四)の一部(学力テスト当日新たに展示物を掲示した教室があつたとの事実)(五)、(八)、(九)、(一〇)及び(一二)並びにNHK記者に対する発言にかゝる(一)及び(二)の各事実についても、原告において、それら事実が真実であると信じたことを相当とする理由がなかつたものと言わざるを得ない。

(三) 甲第一号証(復刊第一八号)によると、原告は、その巻頭言において「この三年間、私たちの手もとには多くの資料(学力テストの不正事実にかゝるもの)が集まりましたが、敢て公開せずに来ました」というのであるが、復刊第一八号の編集委員会ないし県教組の手もとにあつたのは、甲第六四号証関係の報告書及び甲第六五号証(甲第九二号証)関係の報告書にとゞまり、復刊第一八号の編集にあたつては、原告がわずかに一事例について電話による確認をしたのみで、その余の各事実については、たんに報告書の記載をう飲みにして、忠実にそれを引用したにとゞまり、原告の主張する検認手続は全然なされていないと言えるので、客観的な観点において、両記者に対する発言とあわせて、原告の公表行為は、その一部について証明がなされ、また後記六、の本件公表事実の対象外の証明事例があるけれども、これを全体としてみるとき、軽卒であつたとのそしりを免れないものである。

六  昭和三八年度学力調査における不正事例

1  本件審理において確認された次の各事例は、学力調査における不正事実もしくは不正事実を疑わしめるものである。

(一) 泉川小学校における席替え等の事例

証人石川幸及び同石川義美の各証言を総合すると、新居浜市立泉川小学校において学力テストに際し、六年梅組担任教師窪田義は、成績劣等児を優秀児の左側の席に配置替えし、児童に対しいわゆるカンニングを示唆したこと及び社会のテストの際、監督教師山内武子(六年竹組担任)が石川(幸)証人のテストの誤答を指で示して訂正を示唆したことの事実を認めることができ、右認定に反する趣旨の証人窪田義の証言は、両石川証言と対比して措信しがたい。

(二) 明浜西中学校における成績不振児措置の事例

成立について争いない甲第九号証の二二、三六、証人加幡昭彦の証言及び同証言により真正に成立したと認められる甲第七三号証の二、三並びに証人中平克仁の証言及び同証言により真正に成立したと認められる甲第七五号証を総合すると、東宇和郡明浜町立明浜西中学校においては、昭和三八年四月から特殊学級編成の計画があり、その準備が進められていたのであるが、学力テストを控えて教室の整備もできていないのに、取急いで父兄の承諾を取りつけるなどして形式的に特殊学級を発足させ、学力テストの当日、同学級の生徒九名をテストの対象から除外したことの事実を認めることができ、この認定に反する趣旨の証人中平克仁の証言は、前掲他の各証拠と対比して措信しがたい。

(三) 東海小学校における異常得点の事例

成立について争いない乙第五〇号証の一ないし二五、第五一号証の一ないし二九、第五二号証の一ないし一三、証人梶原英明(第一、二回)の証言及び同証言により真正に成立したと認められる甲第七七号証、第七八号証の二を総合すると、南宇和郡城辺町立東海小学校五年生の森下教師担任学級の児童の学力テストにおける平均点が社会九三・四、理科九五・七であつて、児童数二九名のうち満点に近いものが二〇名以上もあり、同学級の児童の知能指数及び平常のテストの平均点と対比して右学力テストの結果が極めて異常に高い得点であつたことを認めることができる。

2  右1の(一)の事例は、そのうち席替えの事実は、吉田稔及び野村光男の各報告書による報告事例と同一であり、そのうち誤答指摘の事実は正答指示に準じる行為であり、(二)の不振児措置は、不振児に欠席をしようようし、または強いる行為と類を同じくし、(三)の異常得点の事例は、五、の(五)において認定した城辺小学校五年一組の理科の異常得点の事例とともにそれら学校において、学力テストに際し原告の主張する類の不正が行われたのではないかと推察するにかたくないのであるが、原告の公表行為当時、原告にこれら事実の認識がなかつたものであり、また、被告側において右事例を認識しえたとすれば、本件懲戒処分の発動について別の配慮が行われ、少くとも、原告に有利な情状として参酌されたものといえるけれども、本件懲戒処分の適否すなわち、原告の公表事実の存否の事実判断について、これを個々の事例の間接事実として取りあげる余地はなく、情状の面から当不当を問題視しえない本件審理上、遺憾ながら右認定の事実その他本件審理上顕出された昭和三九年度以降における学力テストにかゝる不正事実を本件の資料として用うることはできない。

3  なお、証人三好藤夫の証言により真正に成立したと認められる甲第八〇号証及び証人西園寺秋重の証言を総合すると、八幡浜市立双岩小学校においては、同市教育委員会の「特殊学級のない学校においては、一名を学力調査の対象から除外してよい」との指示により、五年生一名の理科のテストを除外したことを認めることができ、この認定に反する趣旨の証人三好藤夫の証言は措信しがたいところ、この事例は、復刊第一八号一七頁採点操作の項第二例に類するものであるが、右八幡浜市教委の指示がその独断でなされたものか、または、被告の指示ないし黙認のもとになされたか明らかでないけれども、成立について争いない乙第六〇号証の文部省通達の趣旨によれば、この事例が不正事実でないとは言えないにしても、明らかに不正事実であるとも断定できない。

七、原告の責任

1  原告の責任

(一) 甲第一号証、第一二ないし第一六号証、証人汲田克夫の証言及び原告本人尋問(第二回)の結果を総合すると、復刊第一八号の発行は、学力調査の実施にともなう直接の病理的弊害、すなわち原告のいう不正事実の発生の面からのみをとらえて学力調査の中止を呼びかける目的でしたものではなく、初等教育の基礎理念に基づいて、学力調査の事前準備にともなう諸種の弊害及びそれが県教育行政面に作用して生じる弊害等の防止を目的として、県教組の文教政策論の広報としてなされたものであり、原告らにおいてそれが教職員本来の社会的使命であると確信してしたものであると認めるを相当とし、当裁判所もその発行が公益に作用しえたことを肯認するにやぶさかでないが、原告の主張する国民の知る権利とは、真実を知る権利であり、こゝに真実とは、究極的には司法審査に耐えうる真実でなければならず、国民が憲法によつて保障されている言論の自由権の行使は、その反面、責任をともなうものであること多言を要しないところであつて、行政内部の欠陥を指摘するという公益を目的としたものであれば、それだけに慎重さが要求されるものというべく、本件の場合、なるほど、復刊第一八号に公表された事実及びそれ以外において、こゝで問題となつたと同類の不正事例(不正事実を疑わしめるもの)のいくつかの証明がなされたとは言え、両記者に対する発言を含む原告の公表行為は、善なる目的を追究するの余り、多分に勇足であつたと言わざるを得ない。

(二) なるほど、右にいうごとく、復刊第一八号の発行が公益に作用しえたとしても、原告の公表事実の全部が真実として広報され報道されたことにより、県民の教育に対する認識を誤らせ、県教育界に混乱を生ぜしめたことは、これを否定しえず、原告が司法審査に耐えられない県教職員全体の不名誉となる事実を公表したその行為は、原告がその県教職員の一員たる職の信用を傷つけ、さらには、県教職員全体の不名誉となる行為であつて、地公法第三三条所定の禁止行為に該当し、したがつて、同法第二九条第一項一号所定の懲戒事由に、さらには、同三号の全体の奉仕者たるにふさわしくない非行に該当すると認めるを相当とする。

1 被告が本件懲戒処分の理由として、原告が公表行為それ自体で愛媛の教師を著しく侮辱し、その信用を傷つけたとしていることの見解は誤つている。

(三) そうして、原本の存在及びその成立について争いない乙第三号証と証人中矢常繁の証言を総合すると、被告所属の教育長たる同証人は、昭和三九年六月一三日ころ、県教組委員長たる原告を被告事務所に招致して、復刊第一八号掲載の不正事実についてその具体的開示を求め、これが調査方に協力を要請し、さらに、同月一九日に所属職員矢野政見外一名を県教組事務所へ派遣し「学力調査に係る不正事実について」と題する書面を県教組委員長たる原告に交付して、重ねて懇切に同様の協力方を要請したのに、原告がこれに応じなかつた(実際には応じうべき十分の資料がなかつた)ことを認めることができ、この事実は、一面において、調査の協力の要請ではあるけれども、他面原告をして公表事実の開示を求めることにより、弁解の機会を与えて、懲戒処分について手続の正当性を期したものと解することができるところ、原告がその開示をしえなかつたのであるから、被告において、原告らが故意に虚構した事実を公表したものと認めて本件懲戒処分を発動したものと認めるを相当とし、公表行為の方法、公表事実の内容及びその事例数など、さらには、公表行為の及ぼす社会的影響、教育行政上の秩序破壊及び右認定の原告の態度等を勘案して、昭和二六年八月三日公布愛媛県条例第四四号第四条第一項にもとづいてした停職六月の処分は相当ということができる。

2  原処分維持の理由

(一) 本件懲戒処分は、原告の公表事実の全部が不存在で虚構されたものであるとの前提においてなされたものであるところ、一部分とは言え、公表事実の真実性が証明されたのであるから、本件懲戒処分は、前提事実の一部について誤認があるごとく見られないこともないのであるが、本件懲戒処分は、いうまでもなく、原告が虚構の事実、喚言すれば、原告において証明できない事実を公表した行為を対象としているのであつて、少くとも復刊第一八号関係については、これを包括的に一個の行為と目すべきものであり、その公表事実の一部について証明がなされたとしても、これが編集発行の行為によつて、原告が証明できない事実を公表した事実に変更はなく、したがつて、処分の基礎たる事実について誤認はないのであつて、たんに、処分の情状に関する事情に変更があつたに過ぎないと解すべきである。

(二) もつとも、情状に関する事情の変更であつても、原告の公表事実の大半の証明がなされた場合においては、前記六、の認定による不正事例の存在することもあわせ考えて、原処分をそのまゝ維持することは、著るしく社会正義に反することとなるので、原処分の取消しを考慮すべきであるが、本件において原告が証明しえたのは、復刊第一八号関係の二事例に過ぎないのであるから、右不正事例の存在を考慮しても、著るしく社会正義に反する事情の変更はないと認めるを相当とし、したがつて、原処分を取消すべき理由はない。

第三結論

以上考察の結果原処分を維持することにより、前記第一の二、の説示により明らかなごとく、原告の退職金算定の基礎たる勤続期間が、現に係属中の別訴にかゝる二個の懲戒処分の無効が確認され、または、それが取消されたとしても、三一年に満たないことゝなり、原告が回復すべき退職金(追加分)請求権が存在しないことゝなるので、結局において、本訴は訴えの利益がないことに帰するのであるが、本案についてなさるべき審理をつくし、原告の請求に理由がないことが明らかであるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水地巌 緒賀恒雄 井上稔)

別表一、二省略

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